前編の続きです。
顎下腺の腫瘍摘出手術を受けたえみさん。手術が終わり、初めての全身麻酔から、覚めた後のことを聞いていきます。同じ症状の方が、調べている時に役立てばと思います。
病名 | 左顎下腺腫瘍 |
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入院期間 | 6日間 |
入院日 | 2019年3月10日 (午前中) |
手術日 | 2019年3月11日(翌朝~2時間30分程) |
退院日 | 2019年3月15日(午前中) |
医療機関 | 公立昭和病院 |
病室の様子
前回、話してくれたのは、麻酔が切れてきた辺りまでの様子。
動いちゃいけない状態に耐え忍びながら、半分夢の中でおかしな呪文を唱えていると、看護師さんが起こしに現れて、なんとか自力でトイレに行ったところまでだったね。
そうしたら向かいのおばあちゃんが、「わたし閉め切っているの嫌だから、このカーテン開けておいてもいい?」って聞いてきて、そこからおしゃべりがはじまったの。ふたりの。
で、そのうち、わたしの隣のベッドの患者さんが入れ替わって。最初に目が合った時、その人も、おんなじ匂いがする人だなって。
「じゃあ、もうみんなカーテン開けて顔見ていい?おしゃべりしましょ」ってなって笑いあったの。
病室って、他人同士が同じ部屋で寝るから、ものすごく気を遣うのが、まあ、実際、本当なんだろうけれど、まあ、今回はカーテンをみんな開けることにしたの。
同じ部屋には、整形外科の人がいたり、わたしは耳鼻咽喉科なんだけれど、みんな外科の手術だから、まあ、ケガに至った状況とか、トイレの話とか。松葉杖の人とか車いすの人とか、大変なんだ。
たった4人のね、狭い空間なんだけれど、たった1枚の薄いカーテンを開けると、みんな口々に「あー楽しい」って言いだすようになって、空気が変わったの。
わたしのベッドの前の、85歳のトヨさんがね、「これも全部めぐり合わせで、ご縁よ」って言った。
それで、まあ、戦時中に生まれている人だから、すごい波乱万丈な人生を送ってきている人なんだけれど、話はね、第2章までいった。
「第3章はまた会った時にね」って。ははは。
そう、あとみんなシングルマザーの体験者なんだけれど、トヨさんは女の子3人のお母さんだったんだけれど、早くにご主人を亡くされて、でもね、トヨさんところ見てるとね、いつもね、代わるがわる娘さんたちが見に来てね、ああ、すごくお母さん思いのご家族なんだなって思った。
部屋で転んで、肩の骨が砕けちゃって入院しているんだけれど、まだまだ治るまでに時間がかかるって。うん、リハビリが必要だって。
でも、85歳のおばあちゃんだけれど、非常に話していて、会話もユニークで楽しいし、あ、そうそう、「何型?」って血液の話していたら「新潟」って答えていて。はははは。
で、「家族にしてあげられるのは、自分はご飯を作ってあげられること」って言ってね。それができないのが悔しいって。
1番得意なのは煮豆って。黒豆とか、花豆とかふんわり柔らかく煮るのが得意だって。そしたら私のお豆スイッチが入っちゃって。ふふふ。「わー食べたいー おばあちゃーん」って。ふふふふ。
濃いお茶で食べたいっていったの。そうしたら、「これは九州のおいしいお茶よ」ってわざわざ取り寄せているおいしいお茶を分けてくれたの。
61歳のワカコさんも、家の前の玄関で転倒しちゃったって言ってた。
うん、それでね、骨盤の、大腿骨の骨か、でも最初自分で気づかなくて、自分で運転して病院まで来ちゃったんだって。
でね、入院初日からね、家族がたくさん来て、ああ、みんななんか楽しそうな家族だなって思ったのね。
でね、彼女もまた、シングルマザーだった。で、別れた旦那さんとも友達みたく付き合っているって言っていたな。
さっき、最初の一目でお互い、なんかパチッとわかったって言ったけど、お互いにそれはアイコンタクトでわかったの。
まあ、偶然かもしれないけれど。同じ時期に入院して、たまたま同じ部屋でね。
でも、トヨさんが言った通り、なんかものすごく楽しかったのね。みんな年齢も違うし、でも、偶然じゃないって感じがした。
みんな元気になったら、温泉旅行に行こうねって、約束して帰ってきた。「やっぱり最後は人なんだ」って思ったな。
その場の空気を換えるのも人だし。思わぬ入院生活だったけれど、なんか「あー人に愛されている」っていう感覚が強くなって、ほっこりして帰ってきたんだ。ウニヒピリが喜んでいるんだよ。
景色にも、気持ちにも、色んな変化があったんだ。でもよかった。それがえみさんにとって、心地よい体感で。
ウニヒピリを知らない人もいるから、ここでも何か紹介をしてみてくれる。
何度かクリーニングして、でね、パッと開いたページがメッセージだったの、ほんと。
なんて書いてあったかな…まあ、その時その時、メッセージをくれるんだけれどね。
あ、ほら、あった。「愛しています。ウニヒピリ」だよ。
あなたがあなたのウニヒピリと常に交流を持ち、深い愛情で接しているとウニヒピリはいろいろな情報をあなたと共有しようとします。

4人部屋で、なんで3人しか出てこないかっていうと、1人は手術中だったの。
普通入院するっていうと暗くて、つまんない印象があったんだけれど、確かに、入院した日の病室は、みんなカーテン閉めてるし、重い感じの病室だった。
帰りはね、同室の人たちに見送られて、お向かいのベッドのおばあちゃんには、「あなたとお別れするのかなしいわ」と言われて。笑いの絶えない病室だったの。
リハビリに来た先生が「なんかいいねえ。この病室は明るくて」と言っていた。
病室での食事について

外科的な手術だとお腹もすくだろうし。その時間を、みんな楽しみにしているのかな。
私の場合、退院するまで5日間、ずっと全粥とか、柔らかいものの食事だったから、急に固いものが噛みたくなって。
歯を使っていないから。それでおしゃぶり昆布をかじってた。
腫瘍を取った方の、左側がやっぱり最初、うまく噛めなかったね。食事はかなり工夫されていて、重ならないように。同じ部屋の人でも、ちょっとずつ違うメニューになっているの。
おかずは2品くらいなんだけれど、咀嚼が難しい人はわざわざひとりひとり、カットの仕方ね、「刻みにしますか?」とか「すり身にしますか?」とか確認してくれて。
「トヨさんは毎回スープがついていていいなあ」とか思っていた。ふふふ。高齢者用は喉がつまらないように汁物がついてるのね。
で、ある時にね、鮭のムニエルにタルタルソースがついていて、「すごいおいしかったねー」ってトヨさんと話していたら、ワカコさんのには、タルタルソースがついていなくて、「え、なにそのタルタルソースは?!」ってなって。ふふふ。
そのタルタルソースについては謎だね。付け忘れだったのかも。
秘密にしておけばよかった。ははは。
退院をして、今、思うこと

終わってみて、初めてわかる気持ちにはどんなことが。今、どんな感じがしているんだろう。
よかったって言うのは、この腫瘍は、良性腫瘍は何割かは放置すると悪性に変わるっていうことが分かったし、ちゃんと自分でケアする、体の声を聴くっていうのは大事だなって感じたから。
本当にね、今はね、他のこともそうだけれどね、体って自分でしかケアできないんだなって思ってるの。
意識朦朧としている時にね、先生が瓶を持ってくるの、こうアルコール漬けの。
びっくりしたの。マグロの目玉みたい、ピンポン玉くらいの大きさのが入っていて。一生懸命見たら、ぷかーって浮いていて、こんなにでっかいのが入っていたかって。マグロの目玉はもう食べれないかも。こわいこわい。ははは。
手術前、私もすごい調べたから、全身麻酔が怖い人、切るのが怖くて良性だから大丈夫と思って先延ばしにしようとしている人、二の足踏んでなかなか踏み切れない人、そういう人に私の経験で役に立てばと思ってお話しました。
術後1週間経過して(ノン・チョコレート症候群?!発症)

なにかあるかな。
だから取った唾液腺が「チョコ唾液腺」なのかなあって思った。ふふふふふ。
「まあでも他にも唾液腺たくさんあるからね。1本取ったからって大丈夫。」ってお医者さんが言ってたの。チョコアンテナ取られちゃった。ほんと、なんであんなに「チョコ食べたーい」っていうのがないんだもの。不思議。
これ(膨らみ)はもっと前からあって、たぶん10年はあるな。もしかしたら、子供の頃から小さい核みたいなのがあってね、それが大きくなって脂肪種となっているのかも。
で、今回のことがなかったら、そんなに調べていなかったと思うの。
場所がそんなに生活に影響がある場所じゃないから、そのままにして来ちゃったんだけれど、うん、今回のことでちゃんと調べて知っておこうって思ったの。
今はこれから検査を受けるところ。
今のこの顎下腺のが終わってからじゃないと、次の診察に移れないって言っていたから。今月の26日に行って、細胞診をしてみます。
タイミング、すべてはタイミング。
そう。このタイミングでしないと、そこからまた遠ざかってしまう気がしたから。始まったらまた報告します。
傷の方は、もう傷テープで日焼けしないように気を付けるっていうこと。傷口は7センチくらい。切ったところは色素沈着しちゃうから。
その時にワカコさんのところ寄って行ったんだ。ワカコさんに会いに行くと、まず部屋が変わっていたね。大腿骨の手術を2日前に受けて。
でも話もできるし、松葉杖で歩いていたし、元気そうでよかった。今度は病院の外で会うんだ。国分寺のタイ料理のお店に行くって約束したんだから。
術後8カ月が経過。傷口のあとや声の調子をお伝えします。

花が咲いたら…?じゃんけんポン!